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富山で厄除けにご利益のある放生津八幡宮

富山

富山で厄除けにご利益のある放生津八幡宮

はじめに

日本には多くの神社がありますが、その中で二番目数が多いのが稲荷神社で全国に32000社あります。そして日本で一番多くお祀りされている神社が八幡宮で全国に44000社あります。この数字は日本全国にある神社(88000社)の半数にあたります。八幡宮の中でも特に有名なのが大分県にある宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)と京都府にある石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)、次いで神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)福岡県福岡市東区にある筥崎宮という説もあります)で、俗に「日本三大八幡宮」といわえています。また奈良時代に各国の国府(現在で言う県庁所在地)に建てられた八幡宮がありました。この神社は別名「国府八幡宮」といわれ、明治以前のいわゆる「藩」と呼ばれていた国には必ず国分寺とともに置かれました。それは私の住んでいる富山県も例外ではありません。そこで今日は奈良時代、越中国(富山県)の国府がおかれたいた射水市にあり、一説には国府八幡宮ではないかといわれている放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)を紹介していこうと思います。

放生津八幡宮の御由緒


放生津八幡宮は富山県射水市八幡町にある神社です。創建は奈良時代(746年)聖武天皇の時代、越中国(富山県)国司(県知事)であった大伴家持(おおともやかもち)が、越中国国府(現富山県高岡市伏木古国府)に赴任中、奈呉の浦(富山県高岡市の伏木港~富山県射水市放生津潟にかけての沿海)がお気に入りの場所であり、ここの景色を見ては遠い故郷を懐かしんでいたようで、そこに当時最も権威ある神様であった八幡大神を豊後国(大分県)の宇佐八幡宮よりお迎えし、「奈呉ノ浦八幡宮」としたのがはじまりです。当時この奈呉の浦の風景を読んだ句が、この神社に残っています。

この「アユの風」とは「あいのかぜ」ともいい、日本海沿岸から沖に向かって吹く風のっことで、豊漁がもたらされるといわれています。富山県を走る私鉄「あいの風富山鉄道」はここからきています。

その後秋季大祭に放生会(捕獲した魚や獣を野に放し、殺傷を戒める宗教儀式)を行っていたことから、1328年ごろより「放生津」と名乗るようになりました。やがて戦国時代上杉謙信の軍勢による兵火により一旦は焼失しますが、その後放生津城主神保長職(じんぼながもと)が、社殿を再建しました。現在の社殿は1863年7月のものです。

放生津八幡宮の御祭神とご利益

放生津八幡宮の御祭神は八幡大神(応神天皇)仁徳天皇です。応神天皇は今から約1700年前に第15代天皇として即位され、百済(現在の韓国)から三人の帰化人を受け入れたり、中国から文芸や工芸品を積極的に取り入れるなど、日本文化の基礎を築いた神様です。鎌倉時代には源氏の守護神として武士に広く信仰されました。ご利益は「国家鎮護」「殖産興業」「家運隆盛」「成功勝利」です。一方仁徳天皇は応神天皇の四男として生まれ、天皇に即位すると御所を高津宮(大阪府)に移し、政治を行いました。ある時高台から領民の様子を見ていた天皇は、人家から竈の煙が上がっていないことに気づき、租税を3年間免除したことから、「聖帝(ひじりのみこと)」といわれています。その偉大さを示すものが、大阪府堺市にあるに大仙山古墳で、仁徳天皇のものといわれています。ご利益は「家内安全」「安産J「子孫繁栄」「縁結び」「五穀豊穣」「商売繁盛」です。

放生津八幡宮の見どころ

①築山行事

放生津八幡宮の例大祭に築山行事があります。このお祭りの起源はよくわかっていませんが江戸時代初期であると1721年の発刊の「東八幡宮記録」「築山古老伝記」等に記載されています。また2014年(平成26年)に1764年に使用されたおよそ2mの表具を施した巻物が発見されています。なおこのお祭りは2021年「放生津八幡宮の曳山、築山行事」として国の重要文化財に指定されています。

②瀬織津姫命像

放生津八幡宮の本殿前には女神像があります。この女神さまは瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)という神様で、この神社の祖霊社にお祀りされている大伴家持が、782年桓武天皇の命令で、東北地方の蝦夷(朝廷に従わない勢力)を平定し、陸奥鎮守府将軍に赴任する途中、安積山(現在の福島県郡山市の額取山→ひたいとりやま)付近で、蝦夷の激しい抵抗にあいました。そこで家持は、額取山の向かいの高旗山(986m)に登り、神々をおまつりしたところ、瀬織津姫命の神霊が現れ御神力を示され、見事蝦夷たちを朝廷に従わせることに成功しました。家持はこれに感謝し、高旗山に瀬織津姫命をお祀りしたそうです。この木彫り像は大伴家持生誕1300年を記念し、奉納されました。

③松尾芭蕉、句碑

「早稲のや 分入右は 有磯海」

松尾芭蕉は1689年46歳の時、門人曽良とともに滑川市から海沿いを通り氷見を目指す際にこの辺りを通りましたが、氷見へ向かう道は宿もなく険しいので、高岡を通ることにしました。その時詠んだもので、1843年芭蕉150回忌の折郷土の俳人たちが句碑を建てました。

④摂社 来名戸社、火宮社

 

放生津八幡宮の奥には来名戸社火宮社があります。来名戸社の御祭神は八衢比古神(やちまたひこのかみ)八衢比売神(やちまたひめのかみ)です。この神様は道や町、村の境を守り、その地域に病気や災い事が入らないよう追い払う神様です。「来名戸」とは「来るな」ということであり、この神様は国境や県境村に境、等にお祀りされているようです。次の「火宮社」というのは、その名の通り火の神様をお祀りしている場所であり、御祭神は火産霊神(ほむすびのかみ)です。ご利益は「火災除け」「土地の守護」「鉱業守護」などがありますが、一説には「熱病封じ」の御利益もあり、まさに現在のコロナウイルス封じにも繋がる神社であります。

放生津八幡宮へのアクセス

北陸新幹線「新高岡」駅から、JR氷見線「高岡」行に乗り、「高岡」駅まで行き、「高岡」駅から万葉線(高岡市市内電車)「越の潟」行で「東新湊」駅で降り、徒歩7分

 

 

 

 

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